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東京高等裁判所 昭和40年(う)2038号 判決 1968年11月28日

主文

原判決を破棄する。

被告人柏木定治を罰金五万円に、被告人真井俊一郎を罰金五万円に、

被告人靏見輝行を罰金四万円に、被告人平林吉長を罰金三万円に、被告人三浦秀夫を罰金二万円に、それぞれ処する。

右罰金を完納することができないときは、金千円を一日に換算した期間当該被告人を労役場に留置する。

原審における訴訟費用中、証人鈴木進に支給した分は被告人平林の単独負担、証人田村千代子、同大川忠男、同佐藤富子、同田村秀子、証人兼鑑定人太田芳夫に各支給した分は被告人三浦の単独負担、その余は被告人ら全員の連帯負担とする。

編注・原審の量刑は

(柏木―罰金四万円

真井―罰金四万円

靏見―罰金三万円

平林―罰金二万円

三浦――――無罪)

理由

<前略>

(当裁判所の判断)

弁護人の控訴趣意第一の一ないし三について、

所論は要するに、被告人真井、同靏見、同平林が原判示のプロパン車の移動、車輪の取りはずし等の作業に加担したことはないとし、これを肯定した原判決には事実の誤認があると主張するものであるが、原判決挙示の各証拠によれば、原判示どおりの事実を認めることができ、原判決に所論の誤りがあるとは認められない。これを詳言すれば、

一、所論は被告人真井、同靏見の関係において、原判決は原審証人十河京一の供述を全面的に採用しているが、同人の証言は信用できないとして種々その理由をあげている。なるほど、同人は所論のように本件におけるいわば被害者の地位にあり被告人ら及びその組合に対し所論のような感情を有していたであろうことは窺われるが、しかしそのことから直ちに同人の証言全般を信用できないとすべき経験則があるとはいえない。又同人は事件当日の状況について詳細な供述をしている。しかしその内容を記録について仔細に検討すると、同人は記憶していないことは記憶していないとし、不明瞭な点は不明瞭なものとして証言しているのであつて、他の関係証拠と対比してみても、ことさらに事実を歪曲しているとか又見聞していない事実を見聞したかのように供述しているというような明らかな証跡は認められない。同証言及び関係証拠によると、同人は本件会社の業務一切を統轄しかつ平素から会社の車庫、修理工場の状況や車両の状態、被告人ら組合員の氏名などを把握していたこと、事件当日の状況について強い関心を有していたことが明らかであり、このことに照らすと、同証人が所論指摘の諸状況について本件記録に現われている程度に詳細かつ具体的な供述をしているからといつて、直ちにそれが常人の記憶能力からみてとうてい不可能な供述をしているなどということはできない。なお、同証人は所論指摘のピットに架けられていた車両はガソリン車であつたと証言しているが、関係証拠に照らすと右は誤りであり、実際にそこにあつたのはプロパン車であると認められることは所論のとおりであるけれども、同証言の全趣旨に徴すれば、これは単純な表現上の誤りにすぎないと認められ、これをもつてことさら同人が事実を歪曲して証言している証左であるということはとうていできない。

二、所論は被告人真井の関係において、証人十河は所論のピット付近で被告人真井の姿を見たと証言しているのに対し証人安藤一夫はこれを見ていないと述べていることからして、十河証言は信用できないという。しかし、安藤証言によれば、「真井がいなかつた」と述べているのではなく、「いたかどうか、はつきり覚えていない」というに過ぎず、同証人は、記憶にあるそのとき現認した三人ばかりの名を挙げているが、「他にもいたのではないか」とも述べているのであつて、当時その場に多数の人がいたことが記録上うかがわれることを考えると、要するに安藤の右証言と「真井を見た」という十河証言とは事物に対する観察ないし記憶についての個人差がみられるだけで、必ずしも相矛盾したものとは考えられず、したがつてこのことから当然十河証言が事実に反するとはいえない(この点に関する原判決の説明は、供述の引用等につき所論のような不正確さも認められ、妥当とはいえないが、以上の判断に影響を及ぼすものではない。)。又所論は、検察側証人佐藤浩次郎、同白洲富久子、同牧真人、同岩田年敬等がいずれも被告人真井の姿を見たと述べていないことからしても、前記の十河証言は信用できないという。しかし、原判決が詳細に説明しているとおり、右佐藤浩次郎等は当時いずれも会社社屋二階の事務所内にいて、時折二階の窓から階下の光景をべつ見していたにすぎず、かつその視野の範囲も限られ必ずしも十河証人とこれを同じうするものでないばかりでなく、前に安藤証言について述べたと同じような観察ないし記憶についての個人差等を考えると、所論の証人佐藤等が目撃したという者の中に被告人真井が含まれていないことから直ちに十河証言が信用できないということはできない。なお、安藤証言の一部が検察官の誘導尋問の結果によるもので真実を述べたものかどうか疑わしいとする所論については、記録を調査してもそのような事実は認められないから理由がない。

三、所論は被告人靏見の関係について、証人十河の証言と証人岩田年敬の証言とは同被告人の位置関係などの点で矛盾しているというが、両証人が同被告人を目撃した時点は必ずしも同じとは認められないのであるから、この点に関する両証言の供述内容が異なるのはむしろ当然で、なんら矛盾するものではない。又所論は、証人安藤一夫、同牧真人、同白洲富久子等は被告人靏見の姿を見ていないということを指摘するが、これをもつて右十河、岩田両証人の証言の信用性を否定すべき理由とすることのできないことは、前段で説明したところと同様である。

四、所論は、被告人平林の関係について、原判決は、原判示佐藤、安藤の両証言についてその時刻に関する部分はともに正確を欠くものと認定しながら、両証言によつて被告人平林が当日朝の組合側による車輪取外しの実行々為に協力したとの事実を認定しているが、当日被告人平林がおそくも午前一一時三〇分から一、二分したころには原判示の渋谷電話局にいたことが明らかであるから、同被告人は少くとも午前一一時二〇分ころにはすでに都民交通株式会社を離れていなければならないはずであり、したがつて当日の平林の行動についての認定は時刻の問題を度外視して論ずることをえない微妙な問題を含んでいるのであり、時刻の点が不正確な佐藤、安藤(一夫)両証言から平林の当日朝の行動を認定するのは極めて危険な作業であるというのである。しかしながら、特定の事項についての時刻に関する証言部分に記憶上の誤りがあるからといつて、同一証言中のその他の事項に関する供述部分までがすべて誤りであるとみなければならない経験則はない。すなわち、証人佐藤の供述をみると、同人は「当日午前一一時ころに出社したように思うがそのころ組合員は第二仮眠所に集合していた、」、「組合員が二階の仮眠所からそうぞうしい足音を立てておりたのは……午前一一時半から一二時ころの時間だ」、と述べ、組合員が車輪取外し作業にかかつたのは午前一一時半ころ以降のようにいう一方、「その日事務所のガラス越しに見たところ、第一車庫よりもやや奥で上岡の並びの位置に事務所の方を向いて……平林がいた」「平林……は言葉は分らないが、何か指をさすような情景であつた」と述べて平林が車輪取外し行為の現場にいたことを証言しているのであるが、右証言のうち組合員が車輪取外し作業にとりかかるため仮眠所から階下に降りて行つた時刻が午前一一時半ころから一二時ころまでであつたという点は、他の関係証拠との対比からいつて記憶違いを犯しているものと認めざるを得ないけれども、当日組合員が仮眠所から下りて行つて車輪取外し作業にとりかかつたこと、車輪取外し作業が行われていた際佐藤が二階事務所からその様子を見ていたことは、他の関係証拠と対比して疑いえないところであり、その当日の会社内の出来事、組合側の行動の模様などについての同証人の証言はおおむね他の関係証拠と一致して正確なものであることなどから考えると、同証人の証言中右の時刻の点についての証言部分が正確を欠くからといつて、他の関係事項についての証言部分まですべて不正確であるとみることはできない。証人安藤一夫の証言をみても、同人が十河社長を迎えに行つて会社に戻つた時刻についての証言部分は、不正確であり記憶違いをしていると認められるが、その他の当日の会社内外における出来事に関する供述はおおむね他の関係証拠とも一致して正確なものと認められる。そして原判決が右証人佐藤、安藤の各証言によつて認定しているのは、被告人平林の行動の時間的側面についてではなく、たんに右組合側による車輪取外し作業現場に被告人平林の姿が見られたかどうかということに過ぎず、こつこの事項自体は両証人が記憶違いを犯していると考えられる前記の組合側による車輪取外し作業の開始時刻や社長を迎えに行つて会社に戻つた時刻の点と直接かかわりのない事がらであることは明らかであるから、原判決の右認定をもつてきわめて危険な作業であるとか不合理であるなどという非難はあたらない。又所論は、証人安藤一夫が十河社長を迎えに行つて会社に戻りピット付近に行き組合員の姿を見たのは午前一一時二〇分少し前ころ、あるいは一一時二五分近くであるとし、一方平林被告人が前記渋谷電話局に行くため会社を離れたのは早ければ午前一一時一五分ころ、遅くとも一一時二〇分ころであつたから、証人安藤が車輪取外し現場で平林被告人を目撃しえた可能性は想像以上に低いものといわなければならないなどとの理由をあげて原判決の事実誤認を主張する。なるほど平林被告人が渋谷電話局に行くため会社を離れた時刻は所論のとおりであるとしても、証人安藤がピット付近の状況を目撃したのは、原判示のとおり、証人十河の証言その他から午前一一時一五分前後ころと認められるから、安藤証人が右ピット付近で平林被告人の姿を目撃する時間的可能性がなかつたとはいえないし、このことと証人安藤が述べている被告人平林を目撃した際の状況によつてかなり具体的に格別作為的な跡もなく述べていると思われることを考え合せると、右安藤証言は十分信用することができる。この点に関する原判決の認定に誤りがあるとは認められない。

なお、原判決挙示の各証拠によると、被告人らは他の組合員多数とともに本件プロパン車の移動、車輪の取りずしなどをすることの共謀に参画している事実は明らかであるから、仮に所論のように被告人三名が右車輪取りはずしなどの実行々為に参加したことが認められないとしても、右被告人三名について原判示の各罪の成立を否定することのできないことはもちろんであるばかりでなく、本件認拠上認められる右被告人三名の組合における地位、右共謀に参画の程度などに照らすと、被告人らにおいて右の実行々為に加わつたことがないとしても原判決が量定した程度の刑責を負担するのはやむをえないものと認められるから、この意味においても原判決には判決に影響を及ぼすべき事実の誤認があるとはいえない。以上いずれにしても論旨は理由がない。

同控訴趣意第一の四について、

所論は、原判決がその「第五刑訴法三三五条二項の主張に対する判断」の項の中で本件争議の経過として「会社側による車両の社外搬出はいうべくして行われがたい情勢でありまた現に当時その危険が目しようの間に迫つていたものとはとうてい認められない。」と判示しているのは、事実を誤認したものであるというのである。

しかし、原判決が罪となるべき事実として判示した被告人らの所為が、為議行為として正当な行為といえないことは、後に述べるとおりであるから、所論指摘の点についての事実誤認の有無は判決に影響を及ぼすべき事項ではない。論旨は結局理由がない。

同控訴趣意第二の一について、

所論は、原判決が被告人らの原判示行為が労働組合法一条二項但書にいわゆる暴力の行使に該当すると判示した点について、同条項にいう「暴力」の意義を解釈するについての基準を論じ、判例を引用するなどしたうえ、原判決は「会社側による車両の社外搬出はいうべくして行われがたい情勢でありまた現に当時その危険が目しようの間に迫つていたものとは到底認められない」として本件争議行為を違法としているが、自動車運転労働者の組織率がどのような程度か、従来被告人らの勤務していた会社がどのような組合政策をとつてきたか、あるいは本件直前の労使関係いかん等の事情を全く無視して、被告人らの行為を暴力の行使に該当すると判示したのは、前記法条についての解釈適用を誤つたものであると主張するものである。

しかし、いやしくもタクシー業を営む会社の労働争議に際し、組合員が、業務遂行上その中枢をなす物件である会社所有の自動車計八台に対し、原判示のように、社長から制止されたにかかわらずこれを無視し、多数共同してクリップ廻しあるいはオイルジャック等を使用して各車両の左右ないし前後の車輪を撤去しもつてその使用を一時不能にしていわゆる器物毀棄罪に該当する行為をあえてするがごときは、労働組合法一条二項但書にいう暴力の行使と目すべきものであつて、所論のいう労働事件の特殊性を考慮にいれても、又被告人らの行為の動機、目的など諸般の事情がどのようでもあれ、その手段からみてとうてい正当な争議行為とは解することができない。この見解は所論引用の判例の趣旨と牴触するものとも考えられず、論旨は理由がない。

同控訴趣意第二の二、(一)について、

所論は、原判決が被告人らのプロパン車の車輪とりはずしなどの行為を刑法二六一条に該当するとした点について、最高裁判所昭和三九年一一月二九日第三小法廷判決を引用したうえ、「自動車の車輪のとりはずしは常時修理の際などに行われる操作であつて、それ自体自動車の本来の効用を直ちに喪失させるものか否かにつき問題があるばかりでなく、原状回復はきわめて容易であり、しかも車両自体になんら損傷を与えるものでないのであつて、仮に自動車の効用を一時毀損したとしてもそれは軽微かつ一時的なものといわなければならない。のみならずとりはずした車輪は整然と倉庫に格納されており、ボルト、ナットも代替品は容易に入手できる状態にあるのであるから、本件車輪のとりはずしをもつて器物毀棄に該当するとはいえない。」と主張する。

しかしながら、被告人らの原判示所為は、自動車の車輪を撤去することによつて、車両自体に物質的損傷は与えなかつたとしても、これが運転を不能ならしめ、自動車の本来的機能を害したことは明らかであつて、かような機能の侵害はその性質上もとより軽微とはいえず、かつ、原判示によれば、同時にその修復に必要なナットの所在をも不明ならしめているというのであるから、たとえ所論のようにナットの代替品の入手が不可能でないにしても、その当時の状況下において、犯罪の成立を否定すべきほど原状回復が容易であつたということは必ずしも当らない。これを刑法二六一条所定の罪に該当するとした原判決は相当であり、所論引用の判例は本件に適切でなく、論旨は理由がない。

同控訴趣意第二の二、(二)について、

所論は、暴力行為等処罰に関する法律の立法理由及び改正の立法理由などを論じ、同法を本来集団行動を予定している労働争議行為に適用することは厳重にいましめなければならず、これを漫然適用した原判決は法令の解釈適用を誤つたものであるというけれども、たとえ労働争議中の行為であつても、すでに説明したようにそれが正当な限界を逸脱して違法に行われ、同法所定の要件を充足する場合、同法の適用を妨げるべきいわれはない。論旨は理由がない。

同控訴趣意第二の三、(一)について、

所論は、被告人らが原判示の車輪撤去、ナットの隠匿をするに際し刑法二三四条にいう威力を用いたことはない、と主張するものである。

しかしながら、原判決挙示の各証拠によれば、原判示のとおり、被告人らは他の組合員二〇名と共同して、クリップ廻しあるいはオイルジャッキなどを使用し、会社社長の制止を無視し、会社側職員の眼前で公然と、会社所有の自動車の車輪を撤去するなどの違法行為を敢行したものであつて、右行為は会社側の業務遂行の意思を制圧するに足る不法な勢威を用いたものというに十分であり、これに対し「威力を用いた」と原判決が判断したのは相当である。論旨は理由がない。

同控訴趣意第二の三、(二)について、

所論は次のとおり主張する。「昭和三九年一月三一日午後、組合がストを解除した後、会社は組合員の就労を拒否したばかりでなく、納金の受領を拒否し、ガソリンの給油先との取引を停止し、会社内の修理工場の鉄扉に施錠していわゆるロックアウトの状態を現出していた。被告人らの原判示行為は、このロックアウトに対抗する争議行為として行われたのであつて、すでに会社側において自発的に業務を停止している以上、被告人らの右行為によつて会社の業務に新たな阻害を発生せしめたことはないから、威力業務妨害罪の成立する余地はない。」と。

よつて検討するに、原判決挙示の証拠によれば、被告人らの組合が昭和三九年一月三一日午後会社に対しスト中止の通告をし就労の申出をしたが、会社側ではこれを拒否し、かつその後組合側において無断で出庫するや会社側では帰庫してきた組合員の提供する水揚料金の受納をも拒否し、又ガソリン給油会社との取引を認めないなどの措置に出たことが認められる。しかしながら、他方右各証拠によると、会社側において組合側の就労の申出を拒否したのは、組合側においてスト中止の申出をしてきたものの、これに先立つて組合側が確保していた会社保有の車両中大半を占める台数の車検とキイ、とくに被告人らの組合に所属しないものが運転している車両の車検とキイまでも会社側に返還することを拒否するという違法の挙に出たため、会社側としては組合側の申出は認められないとしてこれを拒否したのであり、更に給油先との取引の停止、水揚料金の受領の拒否などの措置に出たのも、組合側が会社側の右車検、キイの返還の要求を拒否したばかりでなく、会社側の業務及び生産手段に対する管理権を否定する形で強行に出庫したため、これまた会社側としてとうてい容認できない行為とし、これに対する対抗的行為としてなされたにすぎないことが認められる。したがつて、会社側が右のような措置に出たことをもつて先制的なロックアウトに出たとか、自発的にその業務を停止したなどということはできない。のみならず原判決が認定している被告人らの原判示行為によつて妨害された会社側の業務というのは、会社の営業の主目的である旅客乗用車の運送業務の遂行それ自体のほか、これに関連する会社保有の原判示車両の洗車、整備など車両の管理に必要な付随的準備的業務をも指しているものであることは原判示のとおりであり、かような車両の管理業務までが会社の自発的意思によつて停止ないし放棄されていたというようなことは証拠上とうてい認めることはできない。以上の次第で、所論は理由がない。

検察官の控訴趣意について、

所論は要するに、本件起訴状記載の公訴事実一について無罪を言渡した原判決は、事実を誤認し、かつ法令の解釈適用を誤つたもので、その判断は失当であり破棄を免れない、というのである。

以下項を分けてその詳述するところにしたがい、当裁判所の判断を述べることとする。

一、「車検とキイの抑留保管について」、所論によれば、原判決は、結局、証拠にもとづき、被告人らが秋山源二ほか多数の組合員と共謀のうえ、昭和三九年一月二七日いわゆるスト権確立の当時から予定していた同月三一日ころのストライキにそなえ、かねての戦術決定にもとづき、同日午前一〇時ころまでの間にわたり、帰庫する組合員その他自運労運転者から各自の車検とキイを回収し、他方同日午前九時過ころから会社側で回収を始めたプロパン車についての計二通の車検と計八個のキイを除き、原判決別紙一覧表記載のように全ガソリン車二五台分の車検とキイ及びプロパン車の一部の車検一〇通とキイ四個をすべて組合側で保管するにいたつた事実を認定し、組合側による右車検とキイの抑留保管によつて会社の自動車運行の業務は完全に阻止されたことになると判示しながら、被告人ら組合員が本件車検とキイを抑留保管するにあたり、別段威力を行使したことを認めるに足る証拠もないから、これにより会社の業務が妨害されたとしても、もとより威力業務妨害罪の成立を認める余地はないとしたが、原判決の右法律判断は明らかに刑法二三四条いわゆる「威力」の解釈を誤つたものであるとする(なお、所論は、事実関係についても、原判決が、車検とキイの回収開始日時について、「一月三〇日午前二時ころから被告人ら組合側が車検とキイの回収を開始した」との検察官の主張を排斥し、右開始日時を一月三一日未明と認定しているのは誤りであると主張し、この点は岡野栄の原審証言により明らかであり、同証言は他の証拠により認められる諸事実と対比し決して不自然なものとはいいがたいのに、原判決が「岡野栄の証言をもつてしても他の関係証拠と対比して未だこれを確認することができない」としたのは、なぜであるか判文上明らかでない、としている。)。

しかしながら、右のように、本件起訴事実一のうちに記載されている起訴状別紙一覧表その一及びその二(原判決別紙一覧表と内容は同じ)所掲の計三五通の車検と計二九個のキイに対する当初の抑留行為について、威力業務妨害罪が成立するかどうかの争に関する判断はしばらく別とし、右起訴状の記載を検討してみると、右車検とキイに対する当初の抑留行為自体をも含めて「威力を用いて同会社の業務を妨害した」ものとして訴追した趣旨であるかどうか、記載の表現上疑がないとは必ずしもいえず、この点に関し、原審第一回公判期日において裁判長の質問に対し検察官がした釈明によれば(記録第一冊八〇頁以下参照)、本件訴因第一の威力業務妨害罪を構成する事実は、起訴状の公訴事実一に記載されている「起訴状別紙一覧表その一の計三二通の車検と計二六個のキイの返還拒絶」ないし「同別紙一覧表その二の計三通の車検と計三個のキイの奪取」によつて行われた計三五通の車検の計二九個のキイの抑留継続行為であつて、起訴状に見られるこれらの車検及びキイに対する当初の抑留関係の記載は、単に右返還拒絶ないし奪取にいたる経過的事情を叙述した趣旨に過ぎないと解せられるから、その性格が争になつている前述の車検とキイの当初の抑留行為は、本件の訴因の内容をなすものではないといわなければならない(記録によれば、原審における検察官の論告もこの趣旨にそうものであることが明らかである、すなわち、原審検察官は、当初の車検とキイの抑留については、それが威力業務妨害罪における「威力を用いて」という要件を欠いているという見地に立つて、これを訴因に含めなかつた趣意がうかがわれるのである。<検察官が控訴趣意において、「原判決は、車検とキイに対する抑留、保管の開始をもつて本件威力業務妨害罪の実行の着手といえないことは検察官自身もこれを認めている旨を判示したが、かかる事実はまつたく存在しない。原判決は何を目してかく判示したか理解に苦しまざるを得ない。」と述べているのは、全く不可解である。>そして原判決もまた前述の車検とキイの返還拒絶及び奪取の点のみが訴因第一の内容をなすものであるとの前提に立つていることは、この点に関する裁判長の質問に対する原審検察官の釈明のほか、原判決が、その無罪理由の説示において、1本件争議にいたるまでの経緯 2車検とキイの保管について 3一月三一日における会社事務所内の状況の各項目に次いで、「4威力業務妨害罪の成否について」と題しその中で「イ車検とキイの返還拒絶について」及び「ロ車検とキイの奪取について」の二点のみを掲げて犯罪の成否を論じている等の判文の体裁からしても、これを推測するにかたくない。もつとも原判決は、右「イ車検とキイの返還拒絶について」の項目の中で、所論のように「当初右被告人ら組合員が本件車検とキイを抑留保管するにあたり、別段威力を行使したことを認めるに足る証拠もないから、これにより会社の業務が妨害されたとしても、もとより威力業務妨害罪の成立を認める余地はない。」として、当初の車検とキイの抑留関係についても犯罪の成否を論じているように見えるけれども、それは判文の体裁からもうかがわれるように、「車検とキイの返還拒絶について」威力業務妨害罪の成否を論ずる過程において、単に事情として、当初の車検とキイの抑留による法律関係を解明したにとどまると解するのが相当である。)。したがつて、前述の車検とキイに対する当初の抑留行為が本件の訴因に含まれていることを当然とする立場から原判決を論難する所論は、その前提において失当であり、論旨は理由がない。

二、「車検とキイの返還拒絶について」、原判決が「ひつきよう被告人柏木ら組合三役のほか前記組合員に向つてくりかえし車検とキイをいつたん会社に返還しなければ出庫を認めないといつて強くその返還を要求していた十河社長に対し、被告人ら全員が秋山ら多数の組合員とその場で互いに意思相通じ、口ぐちに「仕事に出せ」「日報を出せ」などと喧騒し同社長に威圧を加え右車検とキイの返還要求に応じなかつたものと認めることができる。」と判示していることは所論のとおりであつて、これによつて、被告人ら全員が秋山ら多数の組合員と共謀のうえ、かねて組合側で抑留保管していた起訴状別紙一覧表その一記載の車検とキイについて十河社長からの返還要求を拒絶しそのままこれが抑留を継続した事実を原判決が認定したことは明らかである(当審としても、原判決の挙示する証拠によつて右認定ができると考えるし、被告人らのアリバイの主張に対する原判決の判断についての説明も相当としてこれを援用する。)。ところで原判決は、右事実について威力業務妨害罪の成立を否定し、縷々その理由を述べているけれども、その説明はやや晦渋で明確を欠く嫌いがないではないが、その趣意は、「威力業務妨害罪は威力を手段として新たに業務妨害の危険を生ぜしめるか、もしくは既存の妨害の除去を阻止することを要する。本件においては、かねて組合側による車検とキイの抑留保管によつてすでに会社の自動車運行の業務は完全に阻止されていたことになるから、その後の車検とキイの返還拒絶の行為によつて新たに別個の業務妨害の結果が生じたものではないが、被告人ら組合側が十河社長の要請を拒否して車検等を返還しなかつたことによつて既存の妨害の除去を阻止したことは認められる。しかし、それは威力によつてなされたものではない(被告人ら多数組合側の前記言動がいわゆる「威力」に該当するものであり、十河社長の返還要求の意思の発動がこれによつて抑圧されたことは証拠上これを認めなければならないが、そのいわゆる「威力」は車検等の返還拒否のためというよりも、むしろ会社側から運転日報を出させるために用いられたというべき状況であつた。)というにあるようである。しかし、およそタクシー業を営む会社の労働争議に際し、組合という組織の団結力を利用して会社の業務の根幹たる自動車の運行に必要不可欠な会社の所有に属する車検とキイをこれに対する会社の支配を排してほしいままに組合側で抑留保管したときは、これによつて当然会社側の業務遂行の意思を制圧して自動車の運行を不能に陥らしめることは明らかであるから、原判決認定の前示事実によれば、この場合車検とキイの返還拒絶による抑留継続の行為自体が刑法二三四条にいわゆる威力を用いて会社の業務を妨害したものと解すべく、原判決は、いわゆる「威力」に該当する行為として、右車検とキイの抑留継続行為自体のほか、さらにたとえば多衆による不穏な言動のような別個の威圧的行為を必要とするものと解しているやにうかがわれるが、その法律解釈は誤つているといわなければならない。所論は、原判決には会社の操業再開の可能性等について事実の誤認があつたとするのであるが、結果として威力業務妨害罪の成立を主張する点において、結局理由がある。

三、「車検とキイの奪取について」、原判決は、証拠にもとづき、被告人らが他の組合員多数と共謀のうえ、前述のように会社の十河社長に対し車検とキイの返還要求を拒絶した際これを引き続き、起訴状記載のとおり、起訴状別紙一覧表その二記載の車検とキイを会社事務所内カウンター上の車検等保管箱から奪取し、これを阻止しようとした十河社長に対し実力をもつてこれを遮り、結局右車検とキイを組合側の手中に確保しこれを抑留するにいたつた事実を認定し(この事実認定は原判決挙示の証拠に照らして正当であることを当審も認める。)、この場合被告人らが威力を用いたことは明らかであるとし、かつ会社側としてはこれらの車検とキイを奪われることによつて当該自動車を運行の用に供することができなくなつたことを肯認するのであるが、他方、「本件会社の業務は被告人ら組合側の争議行為により昭和三九年一月三一日早朝から全面的に停止状態に陥り、そのうえその後ストライキ解除の際における車検とキイの返還問題をめぐつて会社側と組合側との間に紛争状態が続いていたため、会社側としてはその保有車両数三七台のうち当時すでにその大半に及ぶ三三台の車両についてその運行を停止させるにいたつた。ことここに及んではタクシー会社としての本件会社の業務は全体として機能を喪失したものといわなければならない。なるほど当時なお会社側にプロパン車一台と本件三台のガソリン車の車検とキイが保有されていたことは間違いない。もし他の車両が平常どおり就役しているならば、これだけの台数の車両といえども会社の業務運営上現実的に有意義であることはいうまでもない。しかしながら、右のとおり会社保有車両の大半がその運行を停止している本件の場合に、あえてこれだけの車両を出庫させてみても、会社全体の業務運営上の建前からみれば、ほとんど無意味に近いものと思われるし、現に証拠上も当時会社側がこれだけの保有車両を出庫させてでも営業を続行しようとする意図があつたとは認められず、また当時このようなことが客観的に可能である状況であつたともみられないのである。もとより四台の車両といえども会社にとつては貴重な営業財産であつて、これを軽視することは許されない。ただ本件の場合には、前示のとおり他の保有車両全部の運行が阻害されているため、ひいて会社側がその車検とキイを保有している右四台の車両についてもその運行が事実上不可能な状態になつていたものと考えざるをえないのである。すなわち、自動車を営業のため運行の用に供するという意味における会社の業務は、右四台の分をも含めてすでに全面的に阻害されていたものといわなければならない。そうだとすれば、被告人らが右四台のうちのさらに三台のガソリン車の車検とキイを奪取したことによつて、新に会社の業務を妨害したとはいえないであろうし、また、証拠によつて認められる当時の状況からすれば、これによつて既存の業務遂行上の障害を格別増強したとも解することはできない。もつとも検察官は、ここにいう業務というのは、本来の「運輸大臣の免許に基く一般旅客自動車運送事業」のみではなく、広くその準備行為である、たとえば洗車、修理、整備等もその業務であると主張する。この意見は当裁判所の見解と全く同一である(当裁判所が被告人らの車両の移動ならびに車輪取り外し行為を威力業務妨害罪としても有罪と認定したのは、この見解をとりいれたものである。)。しかしながら、この種のいわゆる準備行為に属する業務について会社側においてスペアキーを保有していることが証拠上明らかであつてこれを使用することによつて何らの支障なくこれらの業務を遂行することができるわけであるから、この点からしても被告人らの行為によつて会社の業務が妨害されたものということはできない。」という理由により、前記車検とキイを奪取した被告人らの行為も、また威力業務妨害罪の構成要件に該当するものとは考えられないとした。これに対し、所論は、「本件会社がタクシー事業を業務内容とするものであること原判決認定のとおりであつて、タクシー事業は一人一車の事業上外個別生産労働ともいうべき特質をもつており、自動車一台でも操業ができるのである。しかして、本件の場合、会社は自運労所属の運転者をして会社内もしくは自運労の事務所に待機させ、被告人ら組合側の妨害がなく車両の使用が可能な状態となりさえすればいつでも直ちに操業し得る状態にあつたものであつて、この事実及び社長が被告人ら組合側に対し、車検とキイの返還を執拗に要求している事実からみれば、明らかに会社が業務を継続して遂行する意図を有し、かつその可能性があつたものと認めなければならないものである。なお、会社側が前述のように約十名の自運労所属運転者を待機させており、しかも会社においてはプロパン車二台分及び本件によつて奪取されたガソリン車三台分計五台分の車検とキイを確保していた(判決が右のように四台分と認定しているのは明白な計数上の誤りと認める。)にもかかわらず、現実に一台も運行していない事実があるが、これは会社側においてストライキ中の被告人ら組合側よりうける出庫阻止等無用の混乱をできるだけ防止しようとの意図及び前述のような車検等の返還要求拒絶の混乱等から操業の機会をうかがつていたに過ぎず、これをもつて会社側に操業再開の意図ないしは可能性がなかつたものと認定すべきものではない。特に、威力業務妨害罪にいわゆる業務とは、具体的個々の現実に執行している業務のみにとどまらず、広く被害者の当該業務における地位にかんがみその任として遂行すべき業務をも指称するのである(昭和二八年一月三〇日最高裁判決参照)から、すでに被告人ら組合側によつて抑留保管ないしは返還拒絶された車検等に該当する車両の操業が妨害されたとはいえ、これとは別にいつでも直ちに操業し得る状態にあつた本件ガソリン車三台の車検とキイが奪取されたことは、それにより当該ガソリン車三台についての業務妨害の危険が新たに現実に発生したものであるとともに、自動車運行業務にともなう車検等の保管管理業務が現実に侵害されていることは明らかであつて、この事実は明らに刑法二三四条所定の構成要件を充足するものといわなければならない。」と主張するのである。

よつて考察するに、原判決のいうように当時会社側としてその保有する自動車の大半が運行を阻害され停止の状態にあつたとしても、そのために被告人らにより車検とキイを奪取された三台のガソリン車について会社側がそれだけの車両を出庫させてでも営業を続行しようとする意図があつたとは認められないとか、又このようなことが客観的に可能な状況であつたともみられないということは、証拠上これを確認するに十分でない(この点に関する検察官の所論参照)から、被告人らが右三台のガソリン車の車検とキイを奪取しこれに対する会社の使用を阻んだときは、これによつて一応右自動車の運行業務妨害の危害を生ぜしめたということができるばかりでなく、一般に会社側としては、自動車運行の業務遂行にあたり、現に自動車の運行が他から阻害されている状態にあつたとしても、将来その阻害状態が解消し自動車の運行が可能になり次第、直ちに操業を開始し得るようただに洗車、修理、整備にとどまらず、運行に必要な車検、キイをも常に自己の支配下に確保し置く等一切の準備をととのえて待機すべきがその任であると考えられるから、被告人らの本件車検等の奪取行為は、この意味において会社の業務を妨害したものといわなければならない。原判決はいわゆる「業務」に関する法律解釈を誤つているもので、所論は理由がある。

以上要するに、被告人らの車検とキイの返還拒絶ないし奪取行為は、会社の業務の根幹たる自動車の運行に必要不可欠なものを抑留することによつて自動車そのものをほしいままに管理支配すると同一の評価を受くべきもので、このように労働者が使用者の生産手段の中枢をなすものを支用者の支配を排して自己の管理下に置き操業不能に陥らしめるような争議手段は、争議行為の本質に反し、その正当性の限度を逸脱した不法なものと認むべきはもちろんであるから、ここに威力業務妨害罪が成立すると解するのが相当である。しかるに公訴にかかる右車検とキイの抑留保管の事実を認めながら、これが罪とならないとした原判決は、刑法二三四条に関する法令の解釈適用を誤つたもので、判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄を免れない。

よつて刑事訴訟法三九七条により原判決を破棄し(原判決中有罪の部分について事実誤認を主張する弁護人の控訴趣意の理由のないことはすでに述べたとおりであるが、右事実と当審であらたに有罪と認定した事実とは包括一罪として処断すべき関係にあると認められるので、原判決の全部を破棄する。)、同法四〇〇条但書を適用して次のとおり自判する(原判決の一部無罪に対して有罪を認定したが、右は事実の変更をともなわず、原判決が法令の解釈適用を誤つたことを理由にするものであるから、とくに控訴審において事実調べを用いなかつた。)。<以下略>(足立進 浅野豊秀 井上謙次郎)

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